外国暮らしの病

心の病を患って数年。なんと海外に飛び出ちゃいました! そんな私の留学生活日記。→帰国しました

自覚なし

自分では「ふつう」だと思っていること。
それが案外そうでないことも多いのではないでしょうか。
私は強迫性障害と付き合ってきて、もう長いこと経ちますから、強迫が「当たり前」になっている部分が少なからずあると思います。
例えば、買ってきた玉ねぎを全部きれいに処理しないと冷蔵庫に入れられないし、保管できない、とか。
ここでの処理というのは皮を剥いて洗うという作業です。
じゃがいもも同様で洗わないと部屋に入れたくありません。
洗濯だってそう。
一回着たものは基本的に全部洗います。
部屋干し以外できません。
雨の日は外に出ないし、不安は突然やってくる。
私の中ではもう習慣というか、それが「当然」になっているので、さして疑問に思いません。
ただ「苦しい」とか「手間がかかる」とか「非合理」だという認識だけはあります。
そのため、時々「ふつう」の人の行動に驚かされ、それが「本来あるべき姿」なのだと再認識させられます。
先日、大学の支援センターへ行ってきました。
そこで心理学の教授と復学に向けての話をしてきました。
私の症状は稀に見る対応の難しさを備えており、いかに大変な状況にあるかを語られました。
「よく通ってたね」
そう言われて、私は気づきました。
「私の苦しさはふつうの大学生のものとは形が違うのかもしれない」と。
私は双極性障害の疑いについても伝えました。
躁鬱となると、また対処が変わってきます。
私にはたくさんの支援と援助が必要みたいでした。
そのため、できるだけ先生方に配慮をしていただけるように書類を作っていただけました。
私は自分の中では「ふつう」です。
でも、少し違うみたいです。