電車でまた
空港から戻ってくる際に乗った電車はスカスカで、私はホッとしました。
しかし、外を見ると大きな駅にいっぱいの人。
人、人、人。
もうめまいがするようなほど、一気にダメージを受けました。
私はこれからあんな人混みと戦わなくてはいけないのかと思うと怯みました。
疲れた頭でも恐怖は感じられるのです。
みんな忙しくて余裕がなさそうで、そのせいで他人に興味がなくて、でも他者からの視線には敏感。
ぶつかっても謝ってくることはないし、こちらが「すみません」と言っても無視するし、sの音も出してないうちにもういなくなっている。
私がした嫌な思いが蘇ってきました。
スローライフの方が向いているってもう充分すぎるほどわかりました。
完全個人主義の優しさを知った後だから尚更です。
駆け込み乗車でぶつかってきた人がいます。
私はその人ではなく、その行動に汚なさを感じました。
強迫観念です。
外国では私の振る舞いに興味がない人ばっかりでしたから、いつもの調子で接触箇所を拭きました。
相手は気にする必要がありません。
だって日本人も個人主義ですもの。
自分のことしか見えてない都会人なら尚更。
ちょっと偏見が入っていますが、これはあながち間違ってないかと思っています。
でも、完全ではないので他人にされたことだけは気になるみたいですね。
私の行動力に傷ついたり、異様な行為に怪訝な顔をしたり。
私は私の強迫性障害行為がその人を不快にさせた全ての原因だとは思っていませんが。
そもそも人の心なんて読めませんし、気にしたって仕方がありません。
ただ、他者が私の態度で不快感を感じたのではないかと推測する旨を指摘されると、
個人主義ならそれらしくしろ。
その前に私が傷ついたし、不快な思いをした。
そんな気になるのです。
強すぎる強迫観念の中、強迫行為を他者からの視線でできない苦しみを思い出しました。
心当たりがあるなら、最初からぶつかって来なければいいのに。
自分が乗るために駆け込んで来たのだから。
ある意味あの人はナルシストです。
私の行動が自分のせいだと思うのでしたら。
私は自分の行い全てを肯定しているわけではありません。
ただ、私だけが悪いのかという気になるのです。
強迫観念は誰に対しても、何に対しても起こりうるものです。
だから私たちのおかしな振る舞いを無視してほしいんです。
私だって傷つけたくないですし、傷つきたくありません。
変の一言で片付けないでください。
十分にわかっていますから。
でも、それも私です。
受け入れてくれる人たちに囲まれて忘れていました。
日本はみんな同じを重視するんだってことを。