外国暮らしの病

心の病を患って数年。なんと海外に飛び出ちゃいました! そんな私の留学生活日記。→帰国しました

偉人と一般人

ニュースとかでよく取り上げられるのは悪い知らせばかり。
だからか、最近はテレビをつける気力もありません。
現実逃避というより、回避でしょうか。
芸能人とか有名な人が亡くなると、その訃報があらゆる情報ツール内を駆け巡ります。
すると、私はこんな気になるのです。
「どうして私じゃなかったんだろう」
私が代わりになっていれば、きっともっと多くの人が幸せなのに。
もしかしたら、私がいなければあの人の分の命がここにまだあったのではないか。
そもそも、私が死んでも大して悲しむ人もいないのだから。
やっぱりなぜ私が生かされているのか。
と、こんな具合の考えが頭を占領します。
もちろん、私が死んでたら、なんて罰当たりなことを考えてはいけません。
それはわかっています。
ただ、こういう時に思うのは「命の価値はやはり等しくなかった」ということです。
不思議ですよね。
普段はあんなに「命は平等」と声高に叫ばれているのに、実はその重さは全く違っただなんて。
さて、私が死んだらいったいどれほどの人が泣くでしょうか。
あの有名人が亡くなってどれほどの人が嘆いたでしょうか。
言わずもがな影響力が違います。
私はまたこんなことを考えながら、至って普通のひねくれた人生を送るのです。
私が死ぬときは自殺じゃありません。
だから、悲しむ必要なんてありません。