外国暮らしの病

心の病を患って数年。なんと海外に飛び出ちゃいました! そんな私の留学生活日記。→帰国しました

どこまでが私のせいか、否か

今は雲隠れしている、病気の症状に加害恐怖というものがあります。
最近ではほとんど気にならない程度にしかありませんでした。
それが昨夜、突如として爆発しました。
実に2年ぶりのことでした。
外国にいたときは、まるで消えていた症状なだけに、こんなにあっさりと帰って来るとは思っていませんでした。
我ながら、びっくりしています。
そもそも、加害とは何か。
想像もつかない方もいるでしょうから、軽く説明しておきますね。
被害妄想というものは聞いたことがあるのではないでしょうか。
簡単に言ってしまうと、その逆バージョンです。
何もしていないはずなのに、他人を傷つけてしまったという妄想に囚われるのです。
もしくは、してはいけないこと、罪を犯してしまったという考えが頭にこびりついて離れないんです。
強迫性障害にもいろいろありますから、人によってこの出方は様々です。
私の場合、主に人に対して起こります。
特に家庭環境。
自分で言うのもなんですが、私はすごく恵まれています。
大学に行かせてもらえて、留学もさせてもらえて。
教育熱心な両親のおかげで日々、多くの学びに触れています。
もちろん、その分、他の方々がしないような苦労をしたこともありますし、今でも困ることはあります。
でも、それ以上に得たものが大きいのです。
両親にはとても感謝をしています。
一方で詳しくは書けませんが、複雑な事象に悩まされもしました。
それはコンプレックスとして、しっかり胸に刻まれています。
だからこそ、私のことを「苦労知らず」と称すのはお門違いなのです。
私の幸運は私が選びとったものではありませんし、それはありがたく享受すべきものです。
受け入れることが、幸せへの近道ですから。
でも、時々こんな思いに駆られるんです。
「私の幸せはもしかしたら、誰かの幸せを犠牲にしたものなのかもしれない」
そんなはずはないんです。
自分でもわかっています。
でも、どうしても、
「私が希死念慮に襲われたとき、私の命と幸運を誰かに分けられたら」
という考えになるんです。
「もし、私が居なければ、誰かはもっと幸せになれるのに」
なんて感じに。
それで、昨日Twitterで見てしまった私の恐怖症へのトリガー。
家庭環境に恵まれている人を疎む内容と呪い。
怖くなって、空リプで、
「私の家庭環境は私が選んだものでない」
と言い訳をしてしまいました。
親に学費を出してもらえること。
私には当てはまらないけれど、浪人や留年をさせてもらえること。
生活費を出してもらえること。
そういうことへの妬みがその後のツイートで全面に押し出されていたことが、改めて私の幸運を自覚させ、またショックを受けました。
「良い家庭環境で病気になるなんて、甘えだ」
と突きつけられ、それが全てではないと思いながらも、苦しくて泣きました。
でも、本当につらいのはその方であって、私ではありません。
よく大学生の仕送り事情の記事を見かけます。
その度に私は恐怖します。
私の幸運が本当は誰かのもので、私がそれを奪ったのではないか。
そんな気がするのです。
もちろん、中には、
「負け犬に対してざまあみろ! って思っておけばいいよ」
とか、
「出してもらえるんだから、ありがたく受け取って勉強したらいいよ」
と言ってくださる方もいます。
私はあまりに贅沢すぎます。
恐怖の中にあって、この幸運を手放す気なんてさらさらないのですから。
あれも、これも。
私のせいなのでしょうか。
貧困とか、毒親とか、私のせいなのでしょうか。
心配は重なるばかりです。