本屋で見る日本
大きな本屋さんに行ったのは久しぶりでした。
私の留学先のブックショップは文房具店という趣きで、置いてあるのは観光雑誌とベストセラー、それから絵本という有様でした。
そもそも本が高価なので買う人もそんなにいないのでしょう。
その代わり図書館には学習雑誌、外国の本つまり日本語、中国語のものや漫画まで置いてありました。
ただ、今回注目したいのは日本の書店には日本人の心がよく現れているということです。
私が注目した棚にはびっしりと自己肯定感とか女であるために起こりうる悩み、人間関係など、少し闇が深い書籍が並んでいました。
私たちは熱心己のアイデンティティを考え、苦しみ、病を抱えるのです。
こんなにも真剣に他者と自分について悩むというのは、その境が曖昧な人種の性なのでしょうか。
例えば、私たちはあまり主語使いません。
「私」という主張が少ないのです。
全部、責任逃れをするかのように「私たち」という主語隠してしまいます。
それは言葉のきつさを和らげますから、なにも悪いことではありません。
ただそのせいで気を遣いすぎて傷つく人がいるということが問題なのです。
内側に抱え込みすぎてはいませんか。
だから、ちょっと棘のある本やエッセイが売れるし、共感を呼ぶんです。
私もそういうコーナーばかりチェックしてしまうので、日本人気質なんです。
きっと。
あんなにも普通を装っている人がいると思うとゾッとします。
私はもうそんなフリできないところまできています。
それでも、毒ある話か教訓を得ようとしてしまうのです。
これが単なる娯楽ならいいのです。
ただ、この場合楽しみつつもどこか自分で自分は大丈夫かというセルフチェックになってしまうことが、私たちの闇なのです。