英語で脳を洗う
タイトルを見て、驚かれたらごめんなさい。
深刻な話ではありません。
「脳を洗う」と書いて「洗脳」というのは面白い表現だと思っただけなのです。
強迫性障害の始まり。
私の強迫観念が生まれたのは、ある種、自分自身への洗脳だったかのように感じることがあります。
新しい価値観で「脳を洗って」いたのです。
それで自分を守るために回避や強迫行為をしてきたのです。
さて、英語でこの「洗脳」をなんと表現するかご存知でしょうか。
興味深いことに「brainwashing」といいます。
そのまんま、日本語と同じなのです。
おそらく明治時代に英語を大量翻訳したときに、そのままの意味で採用したのでしょうが、納得のいく言葉です。
私たちは自分自身で脳を洗うこともできます。
他人に洗われることもあるでしょう。
社会の荒波にさらわれた私たちの脳は薄汚い水で洗われ続けているのかもしれません。
もしピュアなままでいられたら、それはとてつもなく「無知という幸運」なのでしょうね。
私はそういう人が精神の苦しみを理解できるとは思えません。
フリだけは懸命にしてくれるのでしょうが。
これもまた私にかかった洗脳です。