幸せという呪縛
私は本当に幸運に恵まれています。
もちろんたくさんの苦しみを味わっては来ています。
それでも確かに幸福な子どもなのです。
何も不足がない生活をしてきました。
当然のことながら、いじめられたり孤独を味わったりという悲しみも伴いながらですが。
それでも誰が見ても私は確実に「幸せ」な部類の人間なのです。
しかし、残念なことにそれは精神的な満足度と関係がないのです。
側からしてみれば、ただ享受しているように見えるものを手に入れるために、たくさんのことを犠牲にしてきたのですから。
今でこそ、少し勉強ができると思われていますが、本当にどうしようもないほどのバカてした。
「大学行けないよ」
と半ば脅されて、中学生の終わりから必死に勉強してきました。
本当は入れる大学なんて日本中にあります。
しかし、素直に危機感を覚えたのです。
私は競争の中にいると自分より下なんてないものだと認識するようになりました。
常に上にしか人はいないのです。
私はずっと最下位にいる感覚から抜け出せません。
それは今でも同じです。
そして、とても苦しいことでもあります。
どんどん自信が削られていきます。
たくさんの試験と模試はできない私を責めてきます。
みんなのいう「簡単」が解けなくて悲しい思いをいっぱいしました。
それでも、私は「幸せで楽観的で真面目だけどドジをする変わった子」と認識されていたのですから驚きです。
そうやって、平気なふりをしていたのです。
私が強迫性障害だと知らない人に、甘ったれていると言われたことがあります。
なんの苦労もしていないと。
本当にそうでしょうか。
私は頑張って頑張って頑張りすぎたから、自分の容量を超えてしまった結果として、自覚症状が出るまでに至ったと思うことがあります。
他人に言ったことのない悩み、コンプレックスもたくさんあります。
それをなくそうと努力もしました。
でも、どうしようもないことだってあるんです。
幸せですが、幸せを感じる余裕のない日だってあるんです。
それが、ただもう何年も続いているだけなのです。
幸せだから、幸せでないといけない。
でも、幸せと思えない。
この繰り返しです。
とても苦しく自分を責めるプロセスをあと何回すればいいのか。
きっと私が本当の幸福を見つけるまで続くのでしょう。