願いのような呪いのような
自分に自信がない。
ごく自然に多くの人が抱えているこの悩みを、同じように持っています。
少なくとも私出会ってきた日本人で自信があると堂々言ってのけたのは、2人しかいません。
対して、多くの西洋人、ラテン系は逆になんでそんなに私たちが悲観的なのかを不思議がっています。
ここで経験として語れることは、愛を言葉にしてきたかどうかの差です。
幼い頃から、
「愛しい子」
「あなたは私の誇り」
とハグやキスで常に愛を感じきた文化圏の人は、私たちの言わなくても察してくれるだろうという推測を受け取ることはありません。
もちろん好ましく思っているかとか、そういう雰囲気や空気は読めますが。
圧倒的に愛されているという実感を得る機会が多かったはずです。
否定から入る日本人とは違います。
私たちは褒められ経験より怒られた思い出の方が多いのでは無いでしょうか。
それも、あたかも「あなたのため、あなたの将来を案じて」という程で。
そうやってできない自分ばかり強調されて、褒められる事があっても、
「〜ちゃんはもっといい子だ」
と比べられてしまい、自分を他人と比較すると癖がついていったのでしょう。
自分を認められない。
自分を好きになれない。
自分を愛することができない。
とても苦しいことです。
いざ自分の嫌いなところをあげてみろと言われても漠然とした答えしか出ないのに。
顔、スタイル、頭、性格。
どれも具体性がないので、どう改善していいのかもわかりません。
だから、他人にどこが私の良いところ、悪いところなのか聞きたくなるのです。
しかし、まずこんな質問をすること自体が否定的なポイントなんですよね。
良いところ仮に教えてもらえても、全く具体性がなく、
「やっぱり答え難いくらいに良いところなんてないんだ」
と落ち込みます。
全くの他人に愛されたことがないせいでしょうか。
自己肯定ができないのです。
それで、愛されたいと思うのですが、
「自分自分を愛せないのに、他人に愛してもらえるわけがない」
とか言われちゃうと、もうどうしていいのか。
他人に愛されて始めて自分の価値を知るのではいけないのでしょうか。
いつまでこの苦しい期間に留まっていないといけないのか。
行動しても、全然報われないけれど、いつか少し自信が持てたら、どんなに幸いでしょう。