外国暮らしの病

心の病を患って数年。なんと海外に飛び出ちゃいました! そんな私の留学生活日記。→帰国しました

I can't trust you anymore! で家出しました 前編

そして、ある日ホストマザーが突然言い放ちました。

「部屋を綺麗にして。それから、明後日は6時まで帰って来ないで」

私に、学校が終わったら同じところに滞在している日本人の男の子を迎えに行って、また私の学校があるcityに戻って時間を潰すようにと伝えてきたのです。

不潔恐怖症なので、ある一定の潔癖症の方ほどは整理されてはいませんが、借りている部屋ということもあり、それなりに掃除はしてありました。

しかし、そう告げられたのは初めてでした。

急なことで私は混乱し、理由を尋ねました。

すると、ここは借家で3ヶ月に1回の点検を受けなくてはならないことを教えられました。もちろん私の部屋にも入ってくるのだそう。

私は自分の親にも私物を触られるのが苦手ですし、信用していない他人に部屋を覗かれるのも汚れる感じがして嫌です。

しかも、この度は壊れていたカーテンレールを直すなど、管理人の方が私の部屋に大いに関わる様子。

私は懇願しました。頼むから同席させてほしいと。私は想像だけで不安で仕方がないから、見届けて綺麗かどうか判断したいと切に訴えました。

しかし、彼女がそれを受け入れてくれることはありませんでした。

後にわかったことですが、彼女は管理人の方にホームステイをとっていると伝えていなかったようなのです。そのため、私と彼が居合わせることは非常にまずかったみたいです。

彼女は何も知らなかった私に、ただ ’Trust me”と繰り返すだけでした。絶対に私物に触らないことを約束してくれました。それでも、先日のシャワーの件もあって完全に信用することはできませんでした。

そして、事件は起こりました。発端は、夕飯の席での会話です。

ホストマザーに急かされて男の子に事の経緯を伝えると、彼は私の迎えを待つことを了承しました。

しかし、彼の学校と私の学校の終業時刻は1時間も違い、私が彼を迎えに行くには最低でも30分はかかります。

つまり、私は彼を1時間半も待たせてしまうことになるのです。

その上、彼はまだ担当の先生にバスのことを伝えていませんでした。

すでにベッドルームに他人が侵入することでパニックになっている私にはプランを立てる余裕はなく、彼にどうしたいかを尋ねることしかできませんでした。

とりあえず、学校で待っているという合意がとれました。しかし、私も彼もWi-Fi環境下でないと携帯端末は使えないので連絡がとれません。

夕飯を終え、皿洗いをしているとホストマザーがやっぱり先に彼が帰っておいてそれから、私とともに外出するように言いました。

それを了承すると、しばらくしてまた彼女の言い分が変わりました。

何度もそれを繰り返しているうちに訳がわからなくなり、最終的に私の英語が悪くて彼と意思の疎通が取れないと言うようになりました。

こうなるともうお手上げです。私は彼にあまりに意見が変わりすぎて混乱していることも伝えてありましたし、彼もなんとなくは察していたようでした。

手紙事件が起こったのはその次の日のことでした。

そして、この話が思わぬ方向に進んだのもこれと同時でした。

私が泣きじゃくっている間に、彼は学校帰りに娘さんと近所のピザ屋に行くことになっていました。

あんなに、私に対して使うなと言っていたネット翻訳でホストマザーが伝えたようです。

一方で私には何の知らせもありませんでした。

もちろん、私にも非はあります。

この日、どうしてもホストマザーと顔を合わせたくなかったので、いつもより早く家を出たのです。

特に学校への連絡もなかったので、そのことに関しては問題がなかったとこの時点では思っていました。以前、迷子になって家に帰れなくなった時は学校に電話したようなので、今回は大丈夫そうだったのです。

そして、放課後に彼を迎えに行きました。

しかし、彼はいませんでした。私はひどく責任を感じて学校中を探し回りました。

たくさんの学生さんに声をかけて、日本人の団体のいる校舎を教えてもらい、そこで見つけた親切な方にスタッフルームまで連れて行ってもらいました。

留学研修受け入れの担当者の方に、彼を迎えに来たことを話しました。

「もう2時間前に授業は終わっているのよ」

「ホストマザーに言われてて……私も学生なので授業があるんです」

パニックと過呼吸の発作に見舞われた私に同情したのか、スタッフさんは話を聞いてくれました。

そして、いろいろな変更点で私が戸惑っていることを知り、ホストマザーに電話をかけようとしました。

もう泣きながら必死にそれだけはやめてほしいこと。

そんなことをしたら、怒られてしまうこと。

彼への責任で胸がいっぱいになって、それでも保身にはしって、半狂乱で訴えました。 

しかし、学校としての義務だとあっけなく電話は繋がれてしまいました。

ホストマザーはもうとっくに彼を迎えに来ていたそうです。

私は安堵すると同時に恐ろしくなって、また泣くじゃくりました。

「たくさん、私たちの間には問題があって……こんなんじゃ帰れない」

「そうみたいね……テイッシュ使いなさい」

泣き止むまでここにいていいと言ってくれましたが、もう何も考えられなくて、お礼を告げて来た道を戻りました。

日本と違ってバス代は非常に高いので、頭を冷ますために歩くことにしました。

心は空虚で、瞳にはあまり景色が映らなかったのを覚えています。

危なげな足取りで、1時間ほど歩き続けました。