異文化体験ホームステイ
前回はちょっと閑話を挟んでしまいましたが、元のお話に戻ろうと思います。
空港から車で30分程でステイ先に到着しました。緑の多い住宅街です。
私を出迎えてくれたのはホストマザー。
彼女はまず最初に靴を脱ぐように言いました。もちろん戸惑います。
だって、土足生活を覚悟していたのですから!
しかし、私の行った国ではカーペットの床が多く、土足文化の少ないところだったのです。なんという幸運かと喜びました。旅行会社はそんな情報をくれませんでしたから。
ところが、思わぬ誤算も。
彼女には2人の娘がいて、3人で住んでいるという情報が事前に入っていました。しかし、実際にその家にいたのは私を含めて7人だったのです!
しかも、ベッドルームは3部屋のみ。私と同じような留学生を4人も同時に引き受けていたみたいでした。
そして、学生に部屋を使わせ、自分たちはリビングに毛布をひいて寝ているようでした。なんだか申し訳ない気分でしたが、仕方がありません。
留学生の受け入れにはそれなりの基準を満たすことが定められているのですから。
1日目、荷解きをすると彼女は「疲れているから眠りなさい」と部屋の電気を消しました。食事はもちろん摂っていません。
2日目、また「寒いから布団にいなさい」とシャワーを浴びることも許されませんでした。
3日目、ようやく初登校です。同じ語学学校に在籍している女の子に連れられて家を出ました。仮に名前をKとします。Kはバス停まで向かう途中全ての道を覚えるように言いました。しかし、小道が多く私には一度で記憶することができませんでした。案の定、帰り道で迷子になり、事前にKが用意してくれたメモを飛び込んだ個人商店の店員さんに見せ、ホストマザーの携帯番号に電話をするはめになりました。すぐに娘さんが迎えにきてくれて、無事に戻ることができました。みんなに抱きしめられ打ち解けた瞬間でした。
その日以降も、私はKと学校へ行き、帰りは1人という生活を繰り返しました。たびたび迷子になり、誰かに声をかけて助けてもらうことが多かったのですが。
そして、1週間が経つ頃Kは帰国しました。私の初めての現地の友達でした。
彼女は私を助けてくれ、連絡先も交換しました。いつか病気が治ったら彼女の国を訪れてみたい、今でもそう思っています。
私たちの仲間意識のようなものが、私のホームシックを食い止めていたことに気づいたのは、その後でした。